ハリー・ポッターの20周年記念企画に出演者が大集合
2001年に、第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」が公開されて20年。
当時の映像を加えながら、ダニエル、ルパート、エマとコロンブス監督を始め多くの出演者が集まるリユニオンという形で、撮影裏話や、インタビュー、当時の思い出話や未公開映像など、盛りだくさんのイベントが、2022年の元旦に公開されます。
「Harry Potter: 20th Anniversary・Return to Hogwarts」
舞台は、映画の撮影現場を公開している、ワーナーブラザーズ・スタジオツアー・ロンドン「メイキング・オブ・ハリーポッター」内の魔法魔術学校・ホグワーツ。
J.K.ローリングの子供向け長編小説「ハリー・ポッターと賢者の石」は、1997年に出版され、2001年に映画化。以降、およそ10年に渡り、7作の続編が公開され、今もその人気は衰えることがありません。
子供達だけでなく大人にも、なぜこれほど人気があるのか、何がそこまで人々を魅了するのでしょう。
おそらくそれはファンタジーともいえる魔法魔術の世界に何も知らずに飛び込んだ新入生が、魔法を学びながら、色んな体験をする、そういうストーリーを、観る人が同化するからなのでしょう。
未知、不思議、魔法、そういう世界に惹かれるのは、人間の本能ともいえるのかもしれません。
この地上に生まれる前に、私達は、霊的生命体として霊的な世界で暮らしていたのです。
その世界では、空を飛べるし、瞬間移動ができるし、物を創り出すことも消すこともできる。武器を持たずに、念の力で戦い、自然治癒の体を持つ、不死身の存在。
それが当たり前の世界にいたからこそ、その時のかすかな印象が、今も自身の霊的な部分を刺激するのかもしれません。
そして私達は、この世の生涯を終えれば、全員が、その霊的世界に戻っていくのです。
近い将来、暮らすことになる世界の事情を、今、知っておく必要があります。
もっと詳しく、色んなことを学びたいときは、ぜひ「霊魂学への扉」というサイトにいらしてください。きっと色んな発見がありますよ!お待ちしています。
終活の延長線上にあるものは
今朝は、「霊魂学の扉」のほうで、終活に関する記事を投稿しました。
まだまだやりたいこともたくさんあって、死ぬ気はしない・・というのが本音ではありますが、
人の死なんて、いつどこで現実になるか、本当に誰にもわからないので、認めたくはありませんが、何らかの準備なり覚悟なりは、しておく必要があるのだと思っています。
霊魂学は、生きている間にできること、しておかないといけないこと、についてたくさん発信していますが、その目的は、他界後の環境や暮らしに焦点を当てているからです。
極端な話ですが、もし他界後の生活環境がいいものであれば、この世でのことは、そこまで問題ではないともいえるほどです。
実際は、この世のことが他界後のことに大きな影響を与えるので、この世のことをないがしろにはできないのですが、
もし、他界後の生活が平穏であることと、この世での生活が平穏であること比べるとしたら、他界後の平穏のほうが、比べものにならないほど重要です。
一般に言われている終活は、他界時までの安心な生活と、他界後に残していくものをどうするのか、といったことが注目されますが、
実際には、他界後の自分自身の生活環境、生活設計が含まれて当然なのではないかと思います。そうでないということは、世の人々は、他界後の現実というものにそれほど興味がないか、あるいは、何か誤解をされているのか、と感じます。
とりあえず、他界後のことを成り行き任せにするのではなく、可能性のひとつとしてでも調べてみていただきたいと願っています。
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人間は万物の長であるからこそ
生き物って不思議です。
わたしたちは、栄養のある食事をして適度な運動をして睡眠をとって・・・と
健康のために色々と苦心することが多いのですが、
野生に暮らす動物達にそんなことはありません。
チータやライオンは、他の動物を狩って食べ、あのような強靭で優れた能力を保っているし、馬は、(人から見れば)粗食と思えるような食事だけで、あのような俊足です。
リスは葉っぱや木の実だけでも元気に飛び回っています。鳥も虫も魚も、みんな本能のままに一生を過ごします。
それらの生き物の一生を邪魔したり危害を加えたりするのは人間です。人間は、自分たちが生き延びるために膨大な時間と労力を使い、同時に、他の生き物の邪魔をしている。これは、まぎれもない事実です。
人間は、万物の長。その権利を持ってしまっているようです。それは、霊魂学でも語られています。
そして人間には、常に、選択する権利もあります。
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死んだ人にまた会うことができるのかどうか
大切な人が他界すれば、誰でもがそう思うことでしょう。
心に大きな大きな穴がぽっかりとあいて、何もかもが無力に感じる。
亡くなった人が、きっとずっと私達を見守ってくれている。
だから元気を出してしっかりと生きていこう。
よく聞く慰めでもあります。
実際はどうなのでしょう。
それは、私にはわかりません。
霊魂学では、霊的世界の住人となった様々な霊魂に、直接聞いた話を、数多く示しています。
それによると、通常、他界した人は、幽質界という霊的な次元で目を覚まし、自分の霊的身体である幽体に見合った世界へと進み、そこで暮らしていくそうです。
けれども、時々、人によっては、地上の家族のことが気になって、見に来ることもあるそうです。正しくは、ちゃんとガイドをしてくれる先輩霊魂に付き添われて、ということですが、大抵の場合、ずっととどまることはしないそうです。
地上にいても、家族に話を聞いてもらうことも、目を合わせることもできません。そのうち諦めて幽質界に戻っていくそうです。
幽質界からは、地上は見えません。まったく次元が違うからです。だから、天国から見守ってくれる、という表現は、正しくはないのです。
もし、本当に他界した人にもう一度会えるとしたら、それは、私達が他界して、同じような質の幽質界へ入り、その人のことを見つけることができた場合ということになります。言うほどにたやすくはないようですが、不可能ではありません。
ですが、それ以前に、自分が入ることになる幽質界が、どういった所なのかを、ちゃんと知っておく必要があります。そして、できるだけ平和で住みやすい世界に入れるように準備しておく必要があるのです。
他界した人が、すべて天使のようになって、天国のようなところで暮らすというわけではないからです。
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この世とあの世の違いについて
物質の世界と言われるこの世と、霊的な世界と言われるあの世では、何が違うのでしょうか。
一番大きな違いは、体です。
この世では、肉体が主役、あの世では霊的な身体である幽体が主役。
重要な点は、幽体という霊的な身体が、この世に生まれた時から、肉体と重なってずっと存在しているということ。
だから、肉体が経験する一生分の記憶を、幽体も記録しているということです。
他界すると肉体は消滅してしまうけれども、幽体は消滅しないので、この世での記憶を持ったまま、霊的な次元へと移動し、あの世では主役の体となって生き続けます。
肉体が無くなるということは、それに関連した機能も無くなります。たとえば、
- 食べる必要がなくなります
- 眠る必要がなくなります
- 物が必要でなくなります
- 働く必要がなくなります
これらは、他界してまず受け入れなければならないことです。
霊的な世界は、「意識の世界」と言われます。
物質に関わることはすべて忘れてしまってもいいのですが、逆に意識の力がいちばん大切になります。
何を考え、どのような思いを発するのか、そうしたことが最優先されます。
霊的な存在になっても、記憶が残るのですから、はじめのうちは、考えることや思うことも、この世に生きていた時の記憶によるものが多いかもしれません。
当然、恋愛感情を持ったり、好き嫌いを感じたりしますし、喜怒哀楽も自由に表現できます。
霊的な世界、あの世とは、自由な次元なのです。
本来なら、誰もが喜んで暮らせる世界のはずでした。
それが、今の時代には、様々な理由で、そうではなくなっています。
霊魂学が人々に知らせようとしているのは、まさにそのことなのです。
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地球という名の箱庭
今朝、頭に浮かんだことがあります。
それは、この地球という世界が、箱庭であるということです。
物質の世界という箱庭を与えられた人類が、その中で何を作ろうと、何をしようと、自由です。
「人がどのように人生を生きようがそれぞれの自由である」と霊魂学は語っています。
けれども、いつか箱庭を出る時、箱庭の外の世界で、人は無事に生きていくことができるのだろうか。
守護霊、指導霊と呼ばれる高級霊魂方が心配しているのは、
今、この世で人がどのように生きているかということよりも、
この世を去るときに、準備ができているかどうかということなのだと思います。
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予想外の出来事は、起こるまでわからない(当然)
物事って、起こったあとだと、色々と分析したり反省したりして、次からはそうならないようにと学習できますが、
「それくらいわからんかったんかい?」という感じで、やたらとタラレバ攻撃しちゃうことがあります。
予想外のことは、予想外だから、なかなかわからないです。1度起こって、次に備えることができれば上出来です。それでも学ばないことのほうが多いのかもしれません。
1度目が致命的でないことを願うばかりです。
致命的というとおかしな話ですが、生きているうちにできたはずのことをしなかったばっかりに、他界後、予想外の展開になって、タラレバしてももう遅い。
これは悲劇です。
え?なんで?うそ~!
このアライグマを見て笑えるうちに、考えてみるというのはどうでしょう?
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わたあめを洗ってしまったアライグマ pic.twitter.com/b2LWoTF0m4
— もふもふ動画 (@tyomateee2) 2020年2月1日
悪意と善意
最近特に増えてきたように思える「メディアによる過剰なプライバシーの侵害」。
ネット上で誰もが自由に発言できるようになったことが、その現象に拍車をかけているということでしょう。
誹謗中傷やイジメと言われている類のことも、プライバシーの侵害です。そこまで人の人生に入り込むようなことを発言するからには、それ相当の覚悟が必要です。
ここで一番大切なのは、発言者の意図と心理状態だと思っています
自由に発言し、賛成反対に関わらず納得いくまで討論することは、健全なことだと思います。けれどもし、悪意があるのなら、発言を控えたほうがいいと考えます。
悪意を抑えるのは大変なことですが、たとえ反対意見であっても、誠意をもって発言することは可能です。
最近では、リスペクト、という風に言われているようですが、お互いに悪意ではなく、リスペクトを持つことができれば、建設的な結果を期待できるのではと思います。
道徳とか理念を語っているわけではありません。
悪意を持った発言、あるいは憎しみや恨み嫉みといった感情から生まれる思いや言葉は、鋭い念となって、それ以上の悪影響を及ぼすからです。
念の力は目に見えず、その影響もなかなか特定できるものではありませんが、その念を受けた人だけでなく、念を発した人にも、悪影響があることは言いつくせません。
根本的な対策を見つけるまでは、とりあえず「念」は武器であり、発する人にも受ける人にもいい事はなにひとつないということを意識しておく必要があります。
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守護霊になった人:神様のお庭の掃除人
霊魂学著書の最新版です。アマゾンで発売されています。
このタイトルを見た時、なんだかあったかい気持になりました。
きっとこの物語に出てくる人は、
控え目で真面目な人なんだろうな、と思ったのです。
そして読み始めてすぐに、その言葉が出てきました。主人公の政吉さんが、もう長くは生きられないと思ったときに、家族を集めて話したのです:
「わしは死んであの世に行ったら、神様に仕えようと思っとる。
わしは無学だから、できる事はないかもしれん。それでも、神様の家があったら、掃除くらいはできると思うのじゃ。
その前に、地獄に落ちたら困るが、地獄からでも這い上がって、神様に仕えたいと思っとる。お前達も神様に失礼がないように、十分注意してくれ。頼んだぞ。」
昔は、今よりもずっと信心深い人が多かったようです。私達の祖父母の代でもそのように感じます。
おそらく、自分たちにはわからない、どうにもならないことが多くて、神様にお願いするしかなかったのかもしれません。
今は、病気になったら、神様に治してくださいとお願いしなくても、立派な病院に行けば最善を尽くしてもらえるでしょう。
うまくいきますようにとお祈りするよりも、うまくいくように頑張りなさいと言われるのでしょう。
だから、今の時代に、信心深いとか宗教熱心とかいうと、何かにすがらなければならない弱い人間なんだと言われたりするんですね。
でも、もし神様と呼ぶかどうかは別にして、そういう霊的な世界が実在するのなら、私達の生活は、そうした世界と切り離しては成り立たないのだと思います。
すがるとか依存するとか強いとか弱いとか、そういう問題以前に、縁を切ってはいけないものなんじゃないのかなと思うんですね。
強い人が神様のような高貴な霊魂と繋がって、なお一層強くなるのなら、それは素晴らしいことなんじゃないかと思っています。
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霊的世界の光について
契山館出版部から発売されている多くの書籍の中に、霊的生命体どうしのやり取りの様子が書かれているのですが、
そういう時、それぞれの霊的生命体の「光り方」といったことも描かれています。
霊的生命体には、はっきりとした質の差があって、
質が高くなればなるほど光輝き、低くなればなるほど暗くなるようです。
一般にはオーラの輝きとして知られていますが、正確には、「幽体オーラ」「霊体オーラ」であり、私達に一番関わりがあるのは、「幽体オーラ」のようです。
この輝きというのは、それぞれの幽体そのものの質なので、
たとえば、60Wの電球と100Wの電球の明るさに違いがあるようなものです。
霊的次元では、それぞれのワット数に見合ったエリアに暮らすことになります。60Wでは100Wの世界に耐えられない、まぶしすぎて暮らせないということなんですね。
逆に、100Wのほうは、技術を学べば、調光可能な電球のようにワット数を60近くに落として、60Wの世界に現れ、短時間であれば交流することも可能なようです。
一定のワット数の世界に暮らしている場合、お互いの幽体オーラの輝きが同等なので、眩しいとか暗いとかは感じないようです。
幽質の世界に入ってから出会う霊魂が、もし少しでも眩しく見えたら、それは自分自身よりも霊的に高い質の霊魂だということなので、安心して交流を求め、逆に、少し暗く見える霊魂が現れたら、関わらないほうがいいともいえます。
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霊的世界があるのかどうか
物質の世界であるこの世の感覚からすれば、
霊的世界というものは、あってないようなもの、と思われても不思議ではないのかもしれません。
たとえば、眠っている間に見る「夢」が、現実かどうかといっているようなものだからです。
夢は、物質の世界でいう現実ではないけれども、意識という世界では現実といえるのかもしれません。
霊的世界というのも、意識だけの世界と説明されることがあるので、そういうものなのかもしれませんね。
ただし、人間が、物質の世界を去り、意識だけの霊的な世界に入り、意識として存続するとなると、そこでは意識が現実になります。
夢だと思おうとしても、覚めることはなく、自分という認識があって、感情もあれば記憶もある、そういう世界を、物質でないから存在しないとはいえなくなります。
あるものはある、ということなんですね。
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誹謗中傷と意外な影響について
最近は、ネット上での誹謗中傷問題が、よくニュースになっています。
「いじめ」や「バッシング」は、随分前からあるものですが、その数と勢いが増していることで、よけい見聞きするようになったのでしょう。
いじめ、いやがらせ、誹謗中傷などを受けた側のダメージは計り知れませんが、
やった側は大したこととは思っておらず、やったことを忘れていることも多いと、よく聞きます。
ここで注意が必要なのは、
霊的な面から見れば、そういうことをする人の側も、相当の悪影響を受けている可能性があるということです。
「やった人」と「された人」という角度から見るとこういうことです:
- もし「やった人」が特定できる場合、その人は「された人」から強い念を受ける可能性が高い
- もし「された人」が、やってない人のことを「やった人」だと勘違いした場合も、同様に強い念を受ける可能性が高い
- もし「された人」が、強い恨みや憎しみの念を発した場合、不道徳な霊魂がそれを利用して、本人を含める誰かに悪戯をする可能性が高い
つまり、いじめや誹謗中傷といった、誰かを傷つける行為をおこなうと、どこかで必ず、強い念が発生するということです。そしてその念は、他の人に被害を与えたり、不道徳な霊魂に悪用されたりすることで、余計に被害が広がるということなんですね。
それこそ、誰一人、得をする話ではない、ということです。
なんとか、このような悪循環が続かないように、現実を知っていただきたいと思います。
契山館広報部の動画のひとつをご紹介します→「ネットで誹謗中傷する人は霊的に裁かれますか?」
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日本沈没 - 希望のひと -
このドラマは、Netflix配信サービスで、全世界に同時公開されています。
海外にいながらにして日本の話題作をいち早く観ることができるのは嬉しいことです。
ふと思ったのですが、このドラマ、日本に住んでおられる、特に関東圏の方々は、どのような気持ちでご覧になっているのでしょうか。
首都直下地震の話題は、今に始まったことではありません。
NHKの公式サイトには、「災害列島・命を守る情報サイト」というタイトルで、今後30年以内に70%の確率で発生する首都直下地震の被害想定や、対策などが公表されています。
ドラマでは、半年以内に70%という宣告がされましたが、現実に、30年以内に70%という確率が公式発表されているということは、ただ事ではありません。
私は海外在住で、日本の情報はネット上に限られていますし、日本で暮らしている人の生の声を聞く機会も、残念ながらごくわずかです。
けれどもこのような宣告がされたら、生き延びるために違う地域に移住することを真剣に計画するのではないだろうかと思うのですが、現状はどうなのでしょう。
確かに、どこにいても災害の可能性はありますし、今すぐというわけでもないのでしょう。NHKサイトには、想定死者数2万3,000人が、対策次第では10分の1になる可能性があると書かれています。
主に、建物の耐震化と火災対策の徹底です。
震度7の地震に耐えうる家屋やビル、そして火災が発生しにくい設備設計、そうしたことを徹底することで、最悪を免れる、ということです。
それでも、現実として、そのような対策に要する費用は莫大ですし、予算が足らない人ほど、危険を免れることはできません。
今すでに、国家や企業が、リスク回避のために、どこか安全な地域に、最重要機関やデータを動かしているとしても当然のことだろうと思います。
突拍子もないこと、前代未聞の出来事、非現実的に思えること、
そうしたことを信じるには、相当の理性と勇気がいるでしょうし、それを信じて行動に移すとなると、表現に困るほど稀な資質を持つ人ということにもなるでしょう。
けれども、今まで数えきれない災害が、突然人々を襲ったのです。
信じられないから、証拠がないから、あてにならないから・・
そういう理由であやふやに、あいまいにしておくというのも、人間の本質なのかもしれません。
霊的に見れば、死ぬこと自体はごく自然なことです。ですが、大勢の人が同時に、何の準備も心構えも無しに他界することは、霊的世界にとっても、混乱を巻き起こす、かなり重大な出来事になるようです。
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悪い霊魂は、悪い霊魂とは限らない?
世間一般の善悪と霊的な質が直接関係しているわけではないのと同様に、
人に霊的な悪影響を与える霊魂が、「人として」悪い霊魂とはかぎらないということもいえるようです。
わかりやすい例えがあるかなと考えると・・・今の時代なら、ウイルス感染。
自分が危険なウイルスに感染しているとして、それを知らないまま誰かのことを助けようとして近づいてウイルスをうつしてしまったために、相手の人は苦しむことになってしまったとします。
助けようとした人は悪意がないばかりか、人助けをしようとした善良な人といえます。
けれども、結果的に相手を苦しませることになってしまった。
霊的な質とかレベルというのは、当の本人にはなかなかわかりづらいことがあるようです。それは霊魂になってからも同様で、良かれと思ってしたことが、相手の霊的身体の質を落としてしまったり、傷つけてしまったりすることがあるということなんですね。
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霊的に悪い人が悪い人とはかぎらない?
え?どういうこと?
善悪の基準や考え方は、人それぞれなので、極めて大ざっぱな言い方にはなりますが、
たとえば、世間のほとんどの人から見て「悪い人」が、霊的に悪いとは限らず、
逆に、世間のほとんどの人から見て、「良い人」が、霊的に良いとは限らない、
ということなんです。
例えば、
良い人も悪い人も、病気になることがあるし、災害に合うことがある、
そういう感じのことかもしれませんね。
病気や災害などは、その人の性格や行いに直結して起こるわけではありません。(不摂生とか不用心などは別として)
そして、霊的なこともそうなんです。
霊的に悪くなる原因が、その人の「悪い」言動にあった、ということはあるかもしれません。
でも、
あんなに良い人なんだから、霊的にも良いはず、
というわけではないんですね。
その理由はシンプルなものです。
この世の善悪と、霊的法則は、まったく無関係だということなんです。
だから、良い人だから霊的にも良いと安心することはできないし、善人だったから天国のようなところへ行ったはず、ともいえないのです。
残念な話ですが、現実を知るということが大切です。そして対策をするのです。
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霊的な質のみが問題であること。
性格や動機ばかりではない