守護霊になった人:神様のお庭の掃除人
霊魂学著書の最新版です。アマゾンで発売されています。
このタイトルを見た時、なんだかあったかい気持になりました。
きっとこの物語に出てくる人は、
控え目で真面目な人なんだろうな、と思ったのです。
そして読み始めてすぐに、その言葉が出てきました。主人公の政吉さんが、もう長くは生きられないと思ったときに、家族を集めて話したのです:
「わしは死んであの世に行ったら、神様に仕えようと思っとる。
わしは無学だから、できる事はないかもしれん。それでも、神様の家があったら、掃除くらいはできると思うのじゃ。
その前に、地獄に落ちたら困るが、地獄からでも這い上がって、神様に仕えたいと思っとる。お前達も神様に失礼がないように、十分注意してくれ。頼んだぞ。」
昔は、今よりもずっと信心深い人が多かったようです。私達の祖父母の代でもそのように感じます。
おそらく、自分たちにはわからない、どうにもならないことが多くて、神様にお願いするしかなかったのかもしれません。
今は、病気になったら、神様に治してくださいとお願いしなくても、立派な病院に行けば最善を尽くしてもらえるでしょう。
うまくいきますようにとお祈りするよりも、うまくいくように頑張りなさいと言われるのでしょう。
だから、今の時代に、信心深いとか宗教熱心とかいうと、何かにすがらなければならない弱い人間なんだと言われたりするんですね。
でも、もし神様と呼ぶかどうかは別にして、そういう霊的な世界が実在するのなら、私達の生活は、そうした世界と切り離しては成り立たないのだと思います。
すがるとか依存するとか強いとか弱いとか、そういう問題以前に、縁を切ってはいけないものなんじゃないのかなと思うんですね。
強い人が神様のような高貴な霊魂と繋がって、なお一層強くなるのなら、それは素晴らしいことなんじゃないかと思っています。
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